おとなになってできなくなったことの3つ
個人的にできなくなったことを3つ
長時間のゲーム
ストレス発散のゲームであったり、クリアを目的とする短時間のゲームは今もなおできるのだが エンディングを見終わったあとに、裏ボスを倒したり、最強の武器を作ったり、やらなくてもいいこといいことは 一切できなくなってきた。 ゲームをするのにも、意味を考えてしまっている。
ゲームに限らず、今行っていることに対して意味をもたそうとしてしまっている。
BBQをするときにも、料理が上達しているとか、自然に触れているだとか。 意味を持たすことには、賛同するのだが 自分自身の中で意味があると考えていることしか行動ができていなくなっている
意味のなさそうなことから、意味を見出すことができなくなっている。 ゲームのやりこみも、難易度が上がってきたり、面倒な作業が発生するが 自分のテクニックを上げてみたり、作業を効率化していくという考えが少なくなっている。
たまにはゲームをして、何気ないことからの学びを習慣づけるようにしたい。
勉強すること
おとなになると勉強しなくてもいいというわけではないが、 受動的に何かを教わるということは少なくなってくる。
本を読むという学び最近ではできなくなってしまっている。
おとなになると習慣化しなければ行けないのではないかと思う。
- 朝の10分を決めて本を読む
- 新しいことに挑戦するために、調べて完成するまでやってみるということを実行する
好きか嫌いだけで判断すること
打算的に物事を見てしまうように、習慣づいてしまっている。 この人といると、学びがあるのか、なにか利益が生まれるのかなど。
純粋に、ものや人を好きになることを避けていると思える。
リスクヘッジしたり、機能を求めすぎたり
愛着を持つことというのが欠けているので、なにか直感的に好きなことをしていたい。
好きなものを食べるように。